思い出の虎戦士



[64] ランディ•バース Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/09/10(土) 07:42 [ 返信 ]
史上最強の外人選手と言えばバース。
おそらく二度と、こういう選手は出ないだろう。
世代の違いで、私は吉田義男の守備を見れなかった事を
残念に思ってるが、
今の若いファンはバースを見れなかった事を残念に思ってるはず。

バースは本当の名前はバスだったが、
不振になったら阪神バス転倒、オンボロバスなどと書かれたら
親会社のイメージも悪くなると、登録名を変更させたらしい。
(苦笑)

掛布と同じでレフトへのホームランの打ち方を覚えたのが大きい。
外野スタンドから見ていると、
シングルヒットで終わるとファンから溜め息が出ていた。
「何や、ヒットか。」と。
ホームランでなかったらファンは納得しなかった。

守備も意外に上手く、掛布が後に言ってるが、
「日本シリーズで広岡監督は思い違いをしてたのではないでしょうか。
タイガースの弱点は守備で特に一塁のバースは穴だと。」
このシリーズでバースは守備でも好プレーを披露していた。

川藤とは将棋仲間で最後には、かなり強くなったらしい。
それぐらい日本に馴染もうとしたのも成功の原因だろう。

最後は息子の病気の事で球団と揉めて退団したが、
契約社会のアメリカ人と義理人情を重視する日本人の違いを
認識不足だった球団の手落ち。

村山監督は「アメリカに帰ってからは、球団に経過を説明する手紙ぐらい書くのが常識だ。」と言ってたが、それは日本人の感覚だろう。
(苦笑)



[63] 江本孟紀 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/09/10(土) 07:08 [ 返信 ]
ご存知、「ベンチがアホやから。」の男。
(笑)
まさか、その後に本が売れて国会議員にまでなるなんて想像もしてなかった。
本人に言わせると、交代を告げられた後に通路で
何を言ったのかは覚えてないらしいが。
当時の監督は中西太、投手コーチは藤江。
中西は打撃コーチとしては一流の評価をされてるが、
監督としては気が弱くて評判が悪かった。
投手コーチの藤江も前監督のブレイザーが連れて来たコーチで、
コレも評判が悪かったのを覚えている。

江本は南海からタイガースに来て古沢と二本柱の形で投げていた。
私のイメージは江本の時はバックがよく打っていて
古沢の時は打線の援護がなかったという感じ。

オールスターで大阪球場に行った時、私は南海時代の江本を見ている。
それも試合後にファンが待っている出口を出てきた。
しかし、誰も騒がない。
江本と気づいたのは、私も含めて少数だったのではないか?
それぐらい当時のパリーグは人気がなかったのだ。



[62] 田淵幸一 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/09/03(土) 09:56 [ 返信 ]
江夏を出せば田淵も出さなければいけないだろう。

プロ野球の歴史の中でも、これだけの大型スターバッテリーは他にいないだろう。
田淵は東京の人間で、読売に憧れてドラフトでタイガースに指名された時は
かなり躊躇していたようだが、読売は当時も裏で動いていて、
今から思えば一つ間違えれば江川事件のようになっていた。
特に江川は計算高かったが、
田淵は坊ちゃん気質の、のんびり屋だっただけに。

思い出してみても田淵ほどのキレイなホームランを打つ打者を
その後は見たことはない。
打った後のバットを投げる姿もカッコよく
我々少年は、よくマネをしたものだ。
ちなみに広島に戻った新井貴浩もバットをよく投げるが、
あれは田淵と違ってブサイクだ。
(笑)
とにかく、この頃の田淵は、カッコよかった。
「頑張れタブチくん!」以降しか知らない人達には信じられないだろうが。
(苦笑)

その田淵がトレードに出された時は驚いたが、
江夏の時と同様、私は仕方がないと思っていた。
それぐらいタイガース晩年の田淵は太って動きは鈍かった。
ファールフライを追いかけないのも
甲子園で実際に見てヤジった事もある。

しかし、西武とのトレードは、
私が知る限りプロ野球史に残る最高のトレードになった。
西武は新興球団として欲しい人気を田淵により得て、
タイガースは真弓という一流の選手を得たのだから。

後に田淵をタイガースの監督にとファンの間で盛り上がった事もあるが、
私は間違いなく失敗していると思う。



[61] 江夏豊 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/09/03(土) 09:29 [ 返信 ]
超大物の登場!

私は今でもプロ野球史上最高の投手は江夏だと思っている。
もちろん実際に見てきた投手の中でだが。

後にリリーフでも大活躍したが、
やはり印象に残るのはタイガースでの先発として大エースでの活躍。
とにかく球は速かった。そしてコントロールが抜群だった。
それに貫禄があった。
今、思い出してもまだ20代の前半だったのに人を寄せ付けないオーラがあった。

それでも私はタイガースの晩年にトレードに出される事には仕方がなかった。
と当時は思っていた。
監督や選手との対立がよくスポーツ紙を賑やかしており、
私は少年時代に嫌気がさしていた。
考えてみると、その責任は今では球団にあると思っている。
あまりにも特別扱いし過ぎたのだ。
それだけ成績が抜群だった事はあるが。

後に広島や日ハムで優勝を経験しているが、
やはりタイガースで優勝して欲しかったし、
あの1973年に優勝していたら、
江夏もタイガースの、その後も大きく変わっていたに違いない。



[55] 藤井栄治 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/22(金) 09:49 [ 返信 ]
「鉄仮面」「片手捕り」
二つもニックネームがあるのはプロ野球選手としては幸せだったのじゃないか。

全盛期を見てないのが残念で、私が知った時には衰えてきた頃だったとは思うが。
それでも1番をよく打っていた。
打撃フォームがキレイなのは、タイガース左打者の典型。
それは遠井、藤田平にも繋がる。
関大の後輩だから、バリバリの村山派。
だからこそ金田正泰と対立して、キャンプ途中で帰ったりしたらしい。

「鉄仮面」と言われるぐらい、確かに笑っているのを見た事がなかった。
後にサンテレビの解説者になった時も、いつも不機嫌そうな顔をしていた。
(苦笑)

近鉄のコーチになった時、他のコーチからの虐めで辞めたと。
スポーツ紙の一面になった事を覚えている。
(苦笑)



[60] RE:藤井栄治 Name:M Date:2016/08/07(日) 11:27
初めてユニフォームを作った時の背番号は19だった。
回りの友人に藤井の19を着けるなんて、シブイやないか。と言われたが、実は野村克也のファンだったので19番を着けたことは誰にも言えない位パ・リーグはマイナーだった。


[59] 上田次郎 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/08/03(水) 08:42 [ 返信 ]
コロコロと下の名前の漢字を変える男。
ホンマ、ややこしいわ。(苦笑)

東海大学を日本一にしたサイドスロー。
ドラフト1位でタイガースに入団したが、
この年にはアイドル的超人気の太田幸司がいた。
しかし、村山監督は後に人気よりも、上田の実力を買ったと言っている。

その上田が一番活躍したのが、あの最終戦までもつれた1973年。
今もタイガースファンで語り継がれているのが、
その前の中日戦で何故、上田ではなく江夏だったのか?
この年の上田は中日キラーで、ドラゴンズはお得意さんだった。
いろいろ言われたが、金田正泰監督は最終戦まで、もつれたら
優勝経験の差で読売相手に勝ち目がないと見て、
中日戦で決めたかった。
その中日に強い上田よりも、ここ一番では大エースの江夏でなくては。
と考えたそうだ。
実は江夏も上田も後に、あの順番は正しかったと言っている。

上田は、南海にトレードされて、またタイガースに戻ってきたが、
球のスピードが愕然とするぐらい落ちていたのを
よく覚えている。



[58] 永尾泰憲 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/27(水) 04:00 [ 返信 ]
ヤクルトー近鉄ータイガースと
行くところで常に優勝を味わうラッキーマンと言えよう。
85年の日本一メンバーは控えも充実していた。
北村、吉竹、長崎、山川、川藤(笑)
そして永尾。

永尾は、左の代打などで存在感を出していた。
後にスカウトになっている。
また、娘はサンテレビの「熱血タイガース党!」のアシスタントを務めていた。
評判も良かったが、産休で交替。
次のアシスタントが、酷かった。
無愛想、喋りが下手。何故、選ばれたのか?が、
さっぱり分からなかった。
案の定、一年でクビ。
その次が、今の武田訓佳。もちろん、評判がいい。
関西以外の人には分からないだろうが、
武田訓佳は、斉藤雪乃と並ぶ関西タレントなのだ。
(微笑)



[57] 嶋田宗彦 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/26(火) 21:24 [ 返信 ]
高校野球の時期になると必ず出てくる
箕島ー星稜戦の懐かしビデオ。
今も史上最高の名勝負と言われてるが、
この時の1番で捕手が主将の嶋田宗彦。
そして、奇跡の同点ホームランを打っている。
私は、この試合を幸運ながら見ている。
テレビだけど。

箕島は、この年に春夏連覇。
嶋田は後に住友金属でも優勝、タイガースに入団した85年には日本一。
木戸と同じで野球エリートだ。
しかし、捕手争いで木戸には勝てなかった。
特に打撃では木戸が上。

嶋田には弟がいて、そちらの方がドラフト1位だった。
箕島を出たばかりの弟と住友金属を経由した兄貴は同期だ。

捕手の応援歌は、皆んな同じだったが、嶋田の方が楽しかった。
木戸の場合は、
♪かっとばせ〜木戸 かっとばせ〜木戸

しかし嶋田は、
♪かっとばせ〜嶋田 兄〜かっとばせ〜嶋田 兄〜
(笑)



[56] 田中秀太 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/24(日) 20:13 [ 返信 ]
今から考えると不思議な選手だった。
足は速かったが、レギュラーには、成りきれなかった。
しかし、何故かファンには人気があった。

ナインからも、イジられるタイプで、
後の藤本と同じ。

そう言えば、ショートを守っていて、
ゲッツーを取れなかった後にファンブルまでして、
下柳にキレられたよな。
あれが、秀太が一番目立った時やないのか。

いや、二軍の試合とはいえ、引退試合のような
最後の試合では、観客を集めてたな。
不思議な人気選手だった。
(苦笑)



[54] マイク•キンケード Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/21(木) 21:13 [ 返信 ]
私は、この男には期待したよなあ。
だって、名前がラインバックと同じマイク。
さらに背番号は田淵の22番。

今も、飲み会になったら私を責める奴がいる。
「あんた!キンケードは、やると言うたやないか!」と。
だが、私は間違っては、いない。
キンケードは、力があったのだ。
たった一つ、打席の立つ位置を間違っただけ。
監督の岡田が、「もっとベースから離れろ!」と
何度、言っても直らなかった。
そして、予想通り、インコースは死球の渦で負傷。
それが原因でクビ。
全く、融通の利かない奴だった。

その逆が、野村克也監督の時のブロワーズ。
何度、言ってもベースから離れすぎるので、
外角は全く届かない。

二人を足して二で割れば良かったんや。
(苦笑)




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