思い出の虎戦士



[4] 岡田彰布 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/09(木) 23:44 [ 返信 ]
85年の日本一メンバーからは、まずはオカボンを。
バースは別格として、勝負強さは掛布以上だった。
彼の20年後に同じような勝負強い打者が出ている。
そう、今岡だ。

岡田の85年で最も印象深いのは、
終盤、マジックが出た後の甲子園での中日戦。
二日連続でのサヨナラタイムリー。
一つはホームランだった。

彼は新人の時は苦労した。
監督のブレイザーが、打てない、守れないヒルトンを
岡田の代わりに使い続けたからだ。
ファンの怒りは頂点に達して、
ヒルトンが打席に立ったら岡田コールが起きていた。
(私も、その一人。)

選手晩年にオリックスに移籍して仰木の下に付いた事は良かったと思う。
それが、後の監督として優勝に結びついた。

今回、和田が退陣した後、岡田は再度、監督になる気満々だったと思う。
スポーツ紙や週刊ベースボールでは、
「体がキツイので、監督になる気は、なかった。」
なんて嘘を言ってるけど。
(笑)



[7] RE:岡田彰布 Name:通りすがりの虎党 Date:2016/06/12(日) 18:51
本業の野球以外でも色々な話題を提供した人でしたね。

有名なオカマ事件はともかく、私が可笑しくてしょうがなかったのは、
足の骨折明けの囲み取材で、記者から、「岡田さん、治療中に何か困ったことは
ありませんでしたか?」と問いかけられて、「そら、アンタ、一番困ったのは、
トルコに行けんことでしたがな」と真顔で答えたことでした。(笑)

そのまま、記事にした関西マスコミの寛大さ?にも感動しましたが。(笑)


[17] RE:岡田彰布 Name:そらそうよ Date:2016/06/20(月) 23:57
なんでそんなんを、おかぼんのアレをいわれなあかんのや!

[16] 川藤幸三 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/20(月) 11:29 [ 返信 ]
今の川藤の雰囲気を見て、
選手時代は練習もしない遊び人だと思っている若いファンが、いるかも知れない。
だが、実際はチームで1、2の練習の虫だった。
それどころか、代打のイメージが強い川藤が若い頃は代走や守備要員だった事を
知っている人は少なくなったに違いない。

当時、甲子園に行くとタイガース新聞のような物をくれて、
そこに、朝から練習に来ているという川藤の記事をよく見たものだ。
給料が無くてもタイガースに残してくれ!
と言った話は有名になり、タイガースファン以外にも川藤の名前は知れ渡った。

85年の日本一で吉田監督は、優勝インタビューの中で
川藤が功労者だと名前を挙げている。
成績は悪くてもチームをまとめた功労者としてね。
(微笑)

若い頃の川藤を知る人間としては、後にOB会長になるとは想像も出来なかった。
川藤のためにも、優勝をもう一度、見せて欲しい。



[15] ジョージ•アリアス Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/20(月) 10:50 [ 返信 ]
普段は打たなくても、ココという時にホームラン!
まさにアリアスは最強の6番打者だったと思う。
特に東京ドームでは、長打を発揮。
2ラン、3ランなど、打点の高いホームランもよく打っていた。
守備も意外に上手く、サードでは片岡より上手かった。
(笑)

東京ドームで強い事もあったのか、
タイガース退団後、アメリカに戻ってから、読売入団で再来日した。
本人の気持ちは分かるが、コレで晩節を汚してしまった。

冷静に考えてみたら、東京ドームで強いのではなく、
読売投手陣に強かっただけで、
甲子園より東京ドームでホームランが出やすいのは当たり前だった。
(苦笑)

♪ウ〜 レッツゴージョージ〜
これを私たちは、
♪ウ〜 レッツゴー正児〜
と歌っていた。
分からない人は、年配の関西人に聞いてください。
(笑)



[14] 山本和行 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/20(月) 08:46 [ 返信 ]
85年の日本一メンバーは、個性の強いヤンチャ集団のイメージが強いが、
山本和行だけは、大人の理論派というイメージだった。
孤高のサウスポーという愛称がピッタリの。

だが、かなり球団に物を申す選手だったらしく、
煙たがられたらしい。
85年、中西とダブルストッパーだったが、
終盤にナゴヤ球場の試合前にアキレス腱を切ってしまった。
私は、その試合をレフトスタンドから、見ていた。

先発にリリーフと両方で活躍して、メジャーにも行こうとしていた。
その後にタイガースのコーチとして声がかからないのは、
やはり現役時代に球団から煙たがられたからだろうか?



[13] 亀山努 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/20(月) 08:30 [ 返信 ]
現役時代から体型が一番変わったのは、亀山だろう。
二番目は藪か?
(笑)

92年、新庄と共にフィーバーを巻き起こした。
攻撃では一塁にヘッドスライディング、守りでもダイビング。
とにかくハッスルプレーで大人気。
今の体型からは、想像がつかない人も、いるかも知れない。

バントのやらない二番打者だったが、
終盤に中村監督が優勝を意識して、バントをやらせて失敗していた。
亀山自身も言ってるが、それまでに練習も、ほとんどやっていないと。
中村は、それまでの先発投手だった湯舟をリリーフに回しても失敗している。

ハッスルプレーの、やり過ぎだったのか?
怪我をしてからの亀山は精彩を欠き、寝坊の遅刻や行動がおかしくなり、
若くして引退した。

リトルリーグだったか?
吹田のチームの監督として世界一となり、脚光を浴びて
今では毎日放送やガオラで解説者になっている。



[12] 村山実 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/14(火) 09:22 [ 返信 ]
タイガースファンである私の一番の自慢は、
村山さんの引退試合を球場で見たことだ。

私が子供の頃のタイガースのローテーションは、
その子供でも分かるくらい簡単だった。
江夏ー村山ーパッキー これを繰り返す。
(微笑)

当時、村山さんは、もう晩年に近かったが、
それでも防御率のタイトルを取ったりしていた。

打倒読売!に一番燃えていたのも村山さんで、
それが江夏らにも受け継がれた。

今を持って残念なのは、早くから監督にさせてしまった事だ。
それも選手兼任とは。
その事が村山さんの引退を早めたと思っている。
金田正泰との派閥抗争も、そうだが、
当時の球団が単に客さえ入ればいいと
村山さんの人気だけを買って何の手も打たなかった事が
優勝が遅れた原因だ。
あれだけの内紛を抱えながらも当時のタイガースは、
毎年のように読売と優勝争いをしていた。
それだけの力もあったのに。

二度目の監督の時には、和田、大野、中野の少年隊を
ベテランの反発を買いながらも、育てた。
目の下にクマを作りながら。

それでも私は、これだけのスーパースターを
監督という苦労が絶えない地位に就けるべきでは、なかったと思っている。

阪神淡路大震災での心労も原因なのか?早くして亡くなっている。
吉田や小山は、まだまだ元気なのに。

母校、尼崎産業高校の跡地には銅像が立っている。
今の現役選手達に喝を入れてるようだ。
「打倒読売や!」と。

最後に村山さんに代わって言っておく。
「天覧試合の長嶋さんの打球はファールや!」



[11] 井川慶 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/14(火) 08:55 [ 返信 ]
今は、どうしているのか?
独立リーグに行くという話も聞いているが。

井川こそ今に至るまでのラストエースだろう。
高校卒からの生え抜き、目に見えるほどの体型の変化。
特に太ももや尻の大きさは凄かった。
その集大成が2003年の優勝に繋がったわけだが。

同時に変人ではないか?とも思われた。
水戸育ちなのに納豆は嫌いと公言したり、
優勝のビール掛けから抜け出して、星野仙一を怒らせている。
本人は、次期登板に向けてトレーニングだったらしいが、
優勝が決まった後なのに。
全く似合わない長髪は、汚らしくも見えていた。
普通は、早く寮を出たがるのに、虎風荘にいつまでも、居座ったり。
とにかく変わっていた。
周りと同化しなく、ノリの悪い人間を関西人は好まない。

今から思えば、彼は関西の風土には合わなかったのだろう。
それでも、あのままタイガースに残っていれば、
まだまだ活躍出来た。と思っている。



[10] 平田勝男 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/13(月) 18:55 [ 返信 ]
吉田義男という伝説的な守備名手を除けば、
(現役時代を見てないのが、残念でならない。)
私が実際に見たタイガースのショートでは平田がナンバー1の守備だと思う。
もちろん、久慈の方が上だという意見もあるだろうが、
肩では間違いなく平田だろう。

私が大学生の時に母校が、神宮大会の決勝戦に出た。
その時の相手が明治大学で、素人が見ても分かるように、
守備練習から際立っていたショートがいた。
それが平田。

タイガースに入団した時は、掛布、岡田、真弓らの打撃を見て、
あまりの凄さにショックを受けたらしい。
だからこそ、よけいに守備とバントを磨いたのだろう。

平田が晩年の時に二軍にいたのを甲子園で見たが、
試合に出てないのに、ベンチで一番、大きな声を出していた。
その元気さと名人級のバントを今の選手に教えて欲しい。

ちなみに街で見たタイガースOBでは、小山正明を一番見ているが、
平田も2回、見ている。
一度は、高校野球開催時に、球場周りを自転車に乗っていた。
もう一度は、JRの車両で前に座っていた。
(微笑)



[9] 藤田平 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/13(月) 09:03 [ 返信 ]
シュアーな打撃フォームはタイガースの伝統なのか?
藤井栄治ー遠井吾郎ー藤田平は、この路線だと私は思っている。
野球センスは抜群で、センスだけで野球をやっているように見えてしまう。

守備も堅実だが、
ユニフォームを汚してまでボールに飛び込んだ印象が、まるでない。
打撃は、確かに上手いが、チャンスには弱かった。
特に満塁で回ってきたら、初球を打ってショートフライというのが、
少年だった我々タイガースファンに植え付けられていた。
(苦笑)

子供の頃、阪神パークでのサイン会をよく覚えている。
三人の選手がペンを動かしていたが、藤田平以外の二人は、江夏と田淵。
(苦笑)
司会者が、
「藤田さんの列が、空いています。藤田さんの方にも並んでください。」
(笑)
キツイ司会者だよなあ。

何度も書いているが、私がタイガース監督で就任前に一番反対したのが、この人。
絶対にプロの監督に向いていないと思っていた。
案の定、新庄に正座させて反発を食らっている。

応援歌というのを考えてみたら、私は一番の傑作はオマリーの
♪打てよ〜オマリー〜 だと思っているが、最低は、藤田平のコレ。
♪タイラ タイラ タイラ〜 かっとばせタイラ タイラ〜。

なんじゃコレは。(笑)



[8] トーマス・オマリー Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/13(月) 02:21 [ 返信 ]
阪神ファンは一番や〜 と、お立ち台で吠えていた。(笑)
打撃センスは抜群で、まさにヒットメーカー。
まあ、後に分かった事だけど、かなりワガママで、
自分の打席では、ランナーを走らせないように要求していたらしい。

残念ながら優勝を味わったのは、タイガースではなく、
ヤクルトで。

そうそう、タイガース時代に調子に乗って六甲おろしのCDを出していたが、
コレが、笑えるぐらいに下手だった。
(笑)




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