思い出の虎戦士



[30] 古沢憲司 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/03(日) 16:16 [ 返信 ]
我々の世代には懐かしい、背番号51番の投手。
16歳で高校を中退してタイガースに入団しているが、
どのような過程で、そうなったのかは、よく分からん。

村山さんが引退して、江夏がトレードされた後、
江本と二本柱だった。
古沢は、江本と違って好投すれど、
バックが打てなくて負けという印象が私にはある。
スピードも、あったしね。

後に田淵と一緒に西武にトレードされた。
現役引退後はタイガースや広島でコーチになってるが、
私はタイガースの二軍コーチ時代に中華料理店で会っている。
隣の席だったが、ちょうどテレビでタイガースVS読売戦を中継していた。
0ー4で負けていた9回裏、無死満塁で外野フライ。
何故か三塁ランナーは、タッチアップ。
しかもアウト。
私は、隣に古沢がいる事も忘れて、
「アホか!4点差の9回で何で走るんや!」と
激怒してテレビに叫んだ。
隣の古沢は、何もなかったようにラーメンを食べていたが。
(苦笑)

ニックネームはバーディー。
江本に言わせると、頭がパー以下だったらしいが、
それならボギーではないか?という話もある。
(苦笑)



[29] 濱中治 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/03(日) 15:42 [ 返信 ]
う〜ん。
打撃コーチとして大丈夫なのだろうか?
(苦笑)
何故、一軍の打撃コーチになれたのか?
よくわからんが。

タイガースに入団後の記者会見で、
「甲子園球場で場外ホームランを打ちます!」
と言った、意気は買うけど、
和歌山の球場と違うちゅうの。
もちろん、打てるわけは、なかった。
(苦笑)

でもね、怪我さえなければ不動の4番になってたかも
知れないなあ。
福本豊が、盛んに「一塁に戻る時は、足から戻れ!」と
言ってた矢先に頭から戻って肩を怪我。
復活したら、ライトで飛び込んで、また怪我。
まあ、この時は星野が復活を急がせ過ぎたのも原因だと思ってるけどね。

岡田がオリックスの監督になって、トレードされたから、
親密な仲かと思ったら、
練習をしない選手だと岡田は、キツい事を言っていた。
それで、今度はヤクルトに。

ボーッとした感じなので、解説者には向かないと思っていたら、
意外に喋れたのは、少し驚いたが。

果たしてコーチとしては•••••。



[28] 中西清起 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/03(日) 13:17 [ 返信 ]
ご存知、タイガース最後の遊び人。
(笑)
高知商業では、春のセンバツ優勝投手。
当時から、漫画「球道くん」のモデルになった事でも、
有名になっており、それでニックネームが球道。

社会人を経てタイガースに入団した1年目に、
虎風荘から落ちたのは、有名な話だが、
それを世間が知ったのは、かなり後。
浅越寮長が、かばってくれていたからね。
野球での故障のように取り繕っていたが、
真相は門限を破って、柵越しに部屋に戻ろうとして、
ビールケースの上に落ちた。
(笑)
今、こんな事がバレていたら大変な事になっていたぞ。

ストーカーの女に追いかけ回されたというのもあったな。
車にゴミを撒き散らされたとか。
その女というのが、写真週刊誌に出ていたけど、
とんでもないブスで。
(笑)

投手としては、パームボールを使ってコントロールは、まあまあだったけど、
スピードは、なかった、
考えてみたら、度胸だけで投げてたようなところがあった。
気合いだけの星野仙一のように。
(苦笑)

それでも、日本一に貢献したリリーフエースである事は間違いない。
再び投手コーチで戻る事は、あるのだろうか?



[26] 長崎慶一 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/28(火) 08:24 [ 返信 ]
今も思い出す、85年日本シリーズでの満塁ホームラン。
あのホームランで日本一が決定したと言っていいだろう。
しかし、記憶というのは、あいまいな事もある。
私は、長年あのホームランはレフトスタンドに打ち込まれたと
ずっと思い込んでいた。

しかし、後に何度も出てきたシーンを見ると
ライトスタンドに打ち込んでいる。
名古屋の喫茶店で確かに見ていたのに。
(苦笑)

長崎は大洋で首位打者にもなり、
タイガースにやって来た。
相手が右投手の時には佐野に代わって6番に入る事も。
特に古巣の大洋には強く、
中でも斉藤明夫をやたらに打っていた記憶がある。

退団後は、区会議員になったり、参議院選挙に立候補した事も、あったな。
私は参議院選挙の時に、甲子園球場前での演説の後、
一緒に写真を撮ってもらっている。
「頑張ってください。」と言いながら、
投票もせず、本人も落選した。
(苦笑)



[25] 桑野議 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/28(火) 02:58 [ 返信 ]
榊原に続いて、またまたマニアックな選手を。
先日、高校の同級生と飲んでいたら、桑野をリクエストしやがった。
どうして、私の周りの人間は、マニアック路線なんだ。
(笑)

まあ、私のサイトで、
いきなり江夏や田淵、掛布や金本を出しても仕方がないものね。
他のサイトやブログで書いている人が、いるだろうし。
(苦笑)

さて、桑野の話。
友人とも話していたが、我々の世代で背番号17番と言えば桑野。
タイガースの代打と言えば、
川藤ー真弓ー八木ー桧山など、切り札や神様がいるが、
私の知る限り、代打の切り札、第一号は桑野だろう。
第一次吉田監督時代に代打で大活躍。
ホームランは少なかったがチャンスに強かった。

桑野は外野や一塁も守っていたはずだが、
私には代打の記憶しかない。
なお、下の名前はハカルと読む。

吉田監督は代打の使い方が上手く、
第一次では桑野、第二次では川藤、永尾、長崎、
第三次では、八木などを使いこなした。



[23] 仲田幸司 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/26(日) 13:49 [ 返信 ]
今にして思えば、マイク仲田は何故92年のシーズンだけ覚醒したのだろうか?
もし、あの年に優勝していれば、仲田、野田、葛西、猪俣らの投手陣と
新庄、亀山、久慈、山田らの野手陣は若かっただけに、
その後も数年は優勝争いをしていたに違いない。

当時の中村勝広監督は早稲田の先輩である広岡を崇拝しており、
何故か広岡は投手陣の臨時コーチみたいな事をやっていた。
その生徒が仲田だったが、それが良かったのか、どうか、
仲田までが、広岡を崇拝して、
後に広岡がGMをしていたロッテに移籍したけどね。
まあ、サッパリだった。
(苦笑)

ピッチングは単調、コントロールは悪い。
繰り返すが何故92年だけ良かったのか?
(苦笑)

中西に言わせると、サイン覚えも悪かったらしい。
その仲田も今ではケーブルテレビの「タイガースかわら版」に出てくるぐらいか。
もちろん、コーチの話はない。

仲田で思い出す事が、もう一つ。
1985年の日本一になった時、
祝宴で酔っ払って掛布の頭を叩きながら「ハ〜ゲちゃん」と
やったため、
「どアホ!無礼講にも程があるんじゃあ!」
と川藤に店外に叩き出されたらしい。
(笑)



[22] ウイリー•カークランド Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/26(日) 13:02 [ 返信 ]
爪楊枝を咥えた人気者。
ホームランか、三振かの豪快なバッティングで人気があった。
調子のいい時は三打席連続ホームラン、
それが少し狂うと三打席連続三振。
でもね、当時の外人選手って、それでOKだった。

甲子園歴史館が出来た時、カークランドの展示品のところで
「カークランドが使用していた爪楊枝を探しています。」
と出ていた。
結局、見つからなかったようだけど、
あの爪楊枝は、神戸で作らせた特注品だったらしい。
(微笑)

あの悪夢の1973年の最終戦。
最後の打者のカークランドが三振したシーン。
今でも脳裏に焼きついている。



[20] 竹之内雅史 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/26(日) 09:25 [ 返信 ]
私が野球選手として、尊敬出来る人物。
死球を怖がらない、当てられても何事もなく
一塁へ歩いて行く。
自分が内角に弱く、上手く当てる技術もないのに、
投手に当たり散らす覚醒剤常習者とは違う。

竹之内がクラウンからタイガースに来たのは、
田淵や古沢との複数トレード。
クラウンから来たのは、他に真弓、若菜、竹田。
この時、私が最も期待したのは若菜だったが、
品行が悪く、その後はタイガースを退団。
(苦笑)

竹之内は、独特の打撃フォームで、よくモノマネをしたものだ。
ちなみに、私が今でも他に出来るモノマネは、
カークランド、古沢、近藤和彦(大洋)。
まあ、昔の選手はフォームに個性があったなあ。

竹之内で思い出すのは、チャンスに強かった事。
だからこそ4番を打ってたわけだけど。

現役を引退後、第二次吉田監督時代にコーチ入り。
作戦に異議を立てて、札幌遠征から無断で帰阪している。
(苦笑)

なお吉田監督は、第一次でヒゲ辻、第二次で竹之内、米田と、
コーチとよく対立する。



[19] 榊原良行 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/21(火) 23:24 [ 返信 ]
こんな地味な選手を本当は出したくなかった。
(苦笑)
先日、甲子園に一緒に行った奴からリクエストをもらったので仕方なく。
それにしても、榊原なんて若いファンには全く分からんぞ。
我々の世代なら、背番号37番で覚えているだろうが。

タイガースは歴代、ショートに上手い選手がいた。
吉田ー藤田ー真弓ー平田ー久慈。
この藤田と真弓の間にいたショートが榊原だ。
まあ、守備は堅実だったね。
後にセカンドも守っていた。

バッティングは極端にバットを短く持ってね。
内野の間を抜くというバッティング。
今で言えば、セコいというか、言わば舛添打法ね。
(笑)

日ハムに移った後、不思議に評価されて
タイガースや星野中日でもコーチに。
亀山が言ってたけどね、タイガースのコーチ時代は、
鬼のように厳しいコーチだったらしい。

後に台湾や社会人でもコーチに、なっている。



[18] 遠山奨志 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/21(火) 21:59 [ 返信 ]
あの清原の外れ一位。
今から考えれば、外れて正解か。
(笑)
西武以上にタイガースは、清原を甘やかしていただろう。

それは、さておき遠山の話。
私は入団の記者会見を覚えている選手は、あまりいない。
だが、遠山だけは、はっきりと覚えている。
いかにも、田舎のアンちゃんというか、世間知らずの不良という雰囲気だった。
(笑)

ルーキーで8勝した年のオフ。
スポーツ新聞に「勝ち始めたら、挨拶もせずに生意気になっていった。」
と名指しで書かれていた。
私は長い間、スポーツ新聞を読んでいるが、
こんな書かれかたをした選手を見た事がない。
(苦笑)

よほど、酷かったのだろうが、
まあ、無理もないとも思う。
世間知らずの高校生が、ルーキーから活躍したら、
天狗にもなる。
そして予想通り、翌年からダメになった。
(苦笑)

2年目の開幕前に若手左腕トリオとして紹介されていたが、
後の二人がマイク仲田と猪俣。
(苦笑)

遠山は後にロッテに移籍して打者になっていたが、
再びタイガースに戻って来た時に、
吉田監督は投手として獲得している。
それが、野村監督の時に覚醒するから、世の中は分からない。
あの、遠山ー葛西ー遠山、あるいは葛西ー遠山ー葛西ね。
これは、野村克也がタイガースに残した最大の奇襲作戦。
特に遠山は読売の松井に強かった。

最近、毎日放送に出てくる遠山を見ていると、
すっかり大人に、なっている。
(笑)




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