思い出の虎戦士



[40] 湯舟敏郎 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/12(火) 00:32 [ 返信 ]
あのノーヒットノーラン。
最後のセカンドゴロはセーフだろう。
(笑)
粋な一塁塁審で良かった。

湯舟がタイガースに入団した時の事は、よく覚えているぞ。
それも本人の事ではなく、嫁さんが美人だったということで。
マスコミも本人そっちのけだった。
(笑)

現役時代の湯舟と言えば、ノーヒットノーランと
92年の優勝争いで終盤にリリーフに回って失敗した事。
監督だった中村勝広は、
今までバントさせなかった亀山に急にバントさせたり、
先発投手だった湯舟をリリーフに回したり、
とにかく終盤の采配は、おかしかった。
結局、どっしりと構える事が出来ない弱点が出たのだろう。

湯舟は、近鉄にトレードされてから、引退。
コーチから解説者になったが、
これがタイガースに日本一、優しいというか、甘い解説者になった。
別名、安心解説者。
(笑)

若い頃は嫁さんに負けないイケメンだったが、
今では頭も薄くなった。
それよりも不思議なのは、あの変なイントネーションの喋り方。
根っからの関西人のはずなのに、どうなってるんや?
(笑)



[39] 木戸克彦 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/12(火) 00:01 [ 返信 ]
PL学園ー法政大学ー阪神タイガース。
言わば、野球エリート。
全てで優勝経験をしている。
PL学園では、西田(広島)、小早川(広島)らとクリンアップを組み、
逆転のPLと名づけられた。
後に桑田、清原の時代、片岡、立浪らの時代でも優勝しているが、
木戸の時代の優勝が、一番劇的で面白かった。

PLでも法政でも主将になっているが、
これは、長崎海星、明治大で主将になっている、
1年上の平田に次ぐ。

タイガースでは、山川、笠間という先輩捕手がいたが、
吉田監督は木戸をスタメンに抜てき、
85年、日本一メンバーの主戦捕手になった。
真弓、バース、掛布、岡田らの超強力打線では
平田と共に下位打線だったが、
平田はバントだけでなく、満塁ホームランを打ち、
木戸は三打席連続ホームランを打っている。
守備では、送球が出来ないというイップスになった事をよく覚えている。

引退後は二軍監督として功績を上げたので、
監督候補になっていた。
私も、岡田の後は木戸ー平田ー和田ー矢野と続くと予想していた。
よもや、岡田の後に真弓がなるとは想像もしていなかった。

その真弓監督の下でヘッドコーチを務めていたが、
真弓は、木戸より飲み友達の岡を頼りにしたのだろう。
(苦笑)
すぐに、お払い箱。
これで監督候補からは消えた。

もっとも、木戸は黒い筋の人間と付き合いがあると噂されてるので、
監督の目は、元々、無かったかも知れない。
(苦笑)



[27] 和田豊 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/06/28(火) 09:00 [ 返信 ]
広沢らと大学時代にオリンピックに出場して金メダル。
言わばエリートでタイガースに入って来た。
しかし、入団したらバース、掛布、岡田、真弓と
とんでもない選手達がいたため、自分は小技を磨こうと思ったらしい。
その点では、平田と同じ。

体が細くて非力な印象だったが、
村山監督が少年隊と名付けた中野、大野と共にスタメンに起用された。
今の金本監督による超改革のように。
私は、この中では中野に一番期待してたが、
一番出世したのは和田だった。

バットを短く持って右打ちが上手く、バントも上手かった。
92年の優勝争いでは、新庄、亀山ら若手を引っ張る兄貴分のようで、
後に監督になるレールが、ココで引かれたのだろう。
コーチでは優秀だったと野村克也も認めたが、
監督の器ではない。とも言われていた。
その通りになったが。
(苦笑)

今、サンスポで時々コラムを書いているが、真面目というか、
面白さが全くない。
こんなの我々ファンでも書けるのでは、ないかと思ってしまう。

そう言えば、関西テレビの「よ〜いドン!」に出た時も。
再現フィルムに波瀾万丈が全くなく、つまらない。
の一言。
(笑)
それでも、野村克也が監督になった時、
和田は「全てを変えるのは、今までの野球を否定する事になる。」
と発言したため、野村の怒りを買った事を出演者に振られると、
実は今まで黙っていた事があるんです。
と言った。
コレは野村が大嫌いだったと発言するのか。
和田もなかなかやるやないか。
と思って固唾を飲んでいると、
少し間を空けて、
「あれは、野村さんの野球を否定する意味で言ったのではないんです。」
「今まで黙っていましたが、告白します。胸のつかえが取れました。」
なんや!そんな事かい!
と私は、ズッコケた。
(苦笑)

これほど面白みのない人間とは、一緒に飲みたくない。
現役では、上本ね。
(笑)



[38] RE:和田豊 Name:そらそうよ Date:2016/07/08(金) 16:33
そんなん、ホンマのこと言うわけないやん。何か(考えが)浅いな。

[37] 池田純一 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/07(木) 12:00 [ 返信 ]
背番号7番と言えば、真弓や今岡を連想するファンは多いと思う。
中には俊介と答える人も、いるかも知れないが。
(苦笑)
だが、私の同級生達と集まると、出てくるのは池田だ。

パンチ力のあった外野手で、
今と同じの貧打線の中では貴重な選手だった。
しかし、1973年、有名な最終戦で読売に優勝を持っていかれた年。
後に、あと1勝が足りなかった事で、言われたシーンがある。
それが、甲子園での対読売戦でのセンター池田の転倒落球。
江夏が投げていて、何でもないセンターフライを
池田が転倒して落球してしまったのだ。
私は、この試合を見た記憶が薄いのだが。

この試合を勝っていればと、池田はA級戦犯扱いされて、
その後は調子が出ずに数年後に自由契約となった。

引退後は、阪神深江駅近くでジーンズショップを経営していた。
私の高校は、近くにあり、池田を見たという証言は多かった。
テレビのドキュメンタリーでも扱われて、
優しい人柄で接客している姿が映されていた。

その優し過ぎる人柄が、落球事件では傷つきやすかったのだろう。
プロ野球選手としては、もっとふてぶてしさがあればと思ってしまう。

気が弱かったからだろうか、引退後は宗教にもハマり、
ジーンズショップの中にも、
関連のポスターが貼っていたという証言がある。

その後、若くして病死している。



[36] 上園啓史 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/07(木) 11:27 [ 返信 ]
タイガースファンでも忘れがちになっているだろうが、
新人王だったのだ。
その年がキャリアハイの成績だったが。
(苦笑)

おとなしそうな地味な投手で、
タイガースでローテーションに入ってた時も、
私は阪急塚口駅前で見たが、
私以外、誰も気づいていないようだった。
2日後、先発してるのに。
(苦笑)

ジャージが好きなのか?
後に私の職場に現れた時も、ジャージ姿だった。
その時は、タイガースから楽天に移籍して自由契約となり、
トライアウトで声がかからなかった後だったが。
その後、どうしたのかな?
と思って今回、調べてみたら、
オーストラリアやオランダで野球を続けていた。

少し、話した事があるが、
「応援してましたよ。」と言うと、「ありがとうございます。」と
すごく丁寧な返事が返ってきた。

人間的には、いい人。
頑張って欲しいと思う。



[35] ジェフ•ウイリアムス Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/07(木) 08:25 [ 返信 ]
今にして思えばJFKというのは凄かった。
あれだけのトリオは野球界全体を見渡しても
今後は、なかなか出ないだろう。
中でもウイリアムスは、
楽天の監督だった野村克也でも白旗を上げていて
「ウチの山崎武司でも、どうにもならんと言ってる。」
と嘆いていた。
右打者の山崎でも打てないスライダーだった。

ブルペンでも球児に言わせるとリーダーであったらしい。
他の投手にもアドバイスを与えていた。

今ではシーツと共にアメリカ駐在スカウト。
活躍を祈る。



[34] 佐野仙好 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/07(木) 08:12 [ 返信 ]
和田豊には波瀾万丈は全くないが、この人にはある。

中央大学からドラフト1位でタイガースに。
当時、タイガースのサードは後藤と大倉という選手達がいたが、
物足りなかった。
だからこそサードは佐野で決まりと思われたが、
そこに同期でドラフト下位というか、テスト生から、這い上がった選手がいた。
そう、掛布だ。

掛布に追いやられた佐野は外野に。
そこで起こったのが、あの川崎球場での惨劇。

私は、あの試合をテレビで見ている。
記憶が確かならば、土曜日のデーゲームだったと思う。
レフトの佐野は後ろの打球に飛びついてフェンスに激突。
センターの池辺は、打球の処理よりも先に
佐野の様子を見て、担架と救急車を!と叫んでいた。
この時の池辺の慌てぶりを今でも脳裏に焼き付いている。
私は助からないのではないか?と思った。
(当時、フェンスにラバーを貼ってなかったが、これがキッカケで
各球場にラバーが貼られた。)

奇跡的に助かった佐野は、勝負強い打者となり、
第一回の勝利打点王も獲得している。
もちろん、85年の日本一メンバーでもあり、
リーグ優勝を決めた同点犠牲フライも打っている。

センちゃんと呼ばれ、誰からも慕われていた。
それがスカウトに活かされたのだろう。
今ではスカウト部長だ。
松井秀喜も佐野がドラフト前に訪問した時は、とても喜んでいたらしい。

好漢センちゃん、まだまだ活躍を祈る。



[33] 山田勝彦 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/06(水) 17:20 [ 返信 ]
92年の快進撃を支えたヤングタイガースの一人。
リードを中心に守りが評価されて、
矢野が来るまではレギュラー捕手だった。
関川は、素人でも分かるリードで外野に。
(苦笑)

吉田監督は、関川、久慈を出して矢野、大豊を獲得したトレードを、
狙いは矢野だったなんて後に言ってたが、
私は嘘だと思うね。
どう考えても大豊狙いだった。
(苦笑)

山田のリードは、ともかく、打撃は酷かった。
甲子園のライトスタンドで山田が打席に立つと
トイレに行くファンが多くいた。
それも、戻ってきても山田の打撃内容を周りに聞かない。
ほとんど三振と分かっているから。
(苦笑)

何故かコーチとしては評価されていて
タイガースだけでなく楽天やオリックスでも
コーチに、なっている。



[32] 赤星憲広 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/06(水) 12:17 [ 返信 ]
野村克也が名付けたF1セブンの中心。
まさかルーキーから盗塁を中心に活躍するとは思わなかった。
スカウトが打てないからと見送ろうとしたのを
打撃は入ってからでいいと、
脚は使えるからと獲得に向かった野村克也。
こういう目の付け所は、流石と言えよう。

桧山、浜中、赤星と外野がいる中で金本が入団。
一番、危機感を持っていたのは、赤星だったらしい。

マークされていても、盗塁出来る脚力。
肩は弱かったが、足を生かした守備力は見事だった。
打撃も入団後に成長。
だからこそ、故障で引退に追い込まれたのは残念だった。

あのセンターライナーで飛び込んで怪我をした時、
私はテレビに向かって「止めろ!無理するな!」と叫んでいた。
その点は、福本がよく言う、
怪我をしないでプレーするのもプロと言うことだろう。
もっとも、赤星は後悔をしていないと言ってるが。

いつかタイガースにコーチとして戻ってくるとは思うが、
だからこそ、一つだけ苦言を呈しておく。

現役時代、ファンのヤジに怒って
「試合が終わっても待っていろ!」と言ったらしいが、
それはいいとしても、そのファンを抑えていなかったと、
アルバイトの警備員を怒った事をテレビで喋っていたが、
八つ当たりのように、警備員を怒鳴り散らした話は、
聞いている、こちらが気分が悪くなったので止めた方がいい。



[31] 権藤正利 Name:尼トラ@党首 MAIL Date:2016/07/06(水) 08:53 [ 返信 ]
私が、子供の頃、もっとも古い野球シーンで、
かすかながらも覚えているのは、
杉浦忠(南海)の引退試合。
そしてバッキーと荒川の乱闘シーンだ。

このバッキーと荒川の乱闘シーンは、甲子園での対読売戦。
バッキーが王に投げた投球で
読売の荒川コーチがマウンドのバッキーに詰めよった事で乱闘になり、
これでバッキーは、指を痛めトレード、引退と追い込まれた。
バッキーが退場後に登板したのが権藤で、
王の頭に当てている。

後に権藤の人柄を知ったが、ワザと当てる投手ではない。
物静かな紳士だったらしい。
その紳士の権藤が野球生活を捨ててまで、怒りに震えたのが、
後に有名になった金田正泰殴打事件。

タイガースの監督だった金田正泰は、
シーズン中に通りかかった権藤に
「ほお、猿でもタバコを吸うのか?」と発言。
それが、シーズン後の殴打事件に繋がる。
この時、横にいた、当時は評論家の青田昇は、
怒りに権藤は指が震えていた。と証言している。
そしてシーズン後、金田正泰は江夏の手引きで権藤に殴られている。
江夏は先輩の権藤を慕っていたらしい。
ちなみに金田は鈴木キヨタケにも殴られている。
(苦笑)

今の若いタイガースフアンは信じられないだろうが、
私が子供の頃は、こういう内紛話が多かった。
まあ、江夏が多く絡んでいたが。

投手としての権藤は、大洋時代が全盛期だったろうが、
その頃は知らない。
タイガース時代はワンポイントが多かった印象だ。

なお、「猿でもタバコを吸うのか?」というのは、
私の学校で流行った。
(笑)




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